お月様が建造物だとみたとき
昨日、帰りにみた綺麗な大きな橙色のお月様が「もし、巨大な建造物ではないか?」と思った時、この世の中だけじゃないいくつもの世界に想いを馳せていた。
私の心は私だけにしかわからない私だけのものであり、
横にいる人、友達、上司、母親、兄弟、みんなみんなその人にしかわからないワールドを持っている。
だから知りえないし、わからない、分かろうとすると空回りし、韓国ドラマのごとく「気を利かせて消えること」や「決めつけて何かしてやる」ことが、漠然と繰り返され、愛憎が起こるのではないか…
そんなことを考えながら、助手席に乗っている、私の手のひらの上に、ふんわりと浮かぶお月様の残像。
他にも、今日見た鳥居や街並み大きな川、色んな残像がどんどん浮かび上がる。
それは、多分記憶というもので、脳の中で起きた記憶の思い起こしにすぎないけれど、頭の中にはその時にそこにいた私、しかいないわけで。
今の私とその時のわたしも、もうすでに分離していて。
前の私はもう終わっている、けど今の私がその感情と共にさらに育てている。
「仮想現実」という言葉があるが、宇宙が別にあったり、自分がいる世界がコンピューターの世界のことなんだ、と言う人がいるが、自分の中にでさえ、もうすでに2つの世界が確認できた。
もうひとつは、未来の私だろうか。
現在、過去、と発生して、そして未来。
まだ未来という仮想現実はできていないけど、もし「仮想現実」を自分で作るとしたらどんな現実を作っていくだろう。
私は自分の思い通りになる「仮想現実」は要らない。
過去の業からいって、私のテーマは絶対的にパートナーシップだろう。
男女間だけではなく、自分以外の誰かときづいていくパートナーシップ。
仕事、友達、恋人、家族、パートナーシップのテーマは今も私に降り注いでいる。
日々思い通りにならない苦しさや、触れた時に起きる喜びを噛み締めながら、現在を作り上げて、過去の自分がいる「仮想現実」から自分を掬いあげて、未来の「仮想現実」を自分のものにしていこう。
昨晩のドライブ中の私の思考…
その思考の隣では、さてどんな現実を進行していただろうか、隣の人に聞くすべはない。