講師たるもの…こうあるべきは?

先日、40代、50代、経営者の男性と話すことが度々あった。

講師であって、人前に立つ時は、着飾ってなめられないように着飾るべき!と言うような考え方を持っていた。

たまたまなのかもしれないが、私にとっては

『まだこんな古い考え方持ってる人いるんだなー、そうか!おじさんだからだ』

と、思いました。

自分はいつも最先端できて、きっとその感覚でビジネスがうまく回ってきたという自信もあるからなのだろうと思うが、

では、

講師っていう職業は、こうあるべき!みたいな決まりがあるのだろうか?と考えてみた。

たしかに"技術や知識、人柄も備えておくのは当たり前"の世界だと思う。だって人に何かを伝える立場なのだから、それをサービスにする(お金をいただく)のであれば当たり前だ。

でも、それはお客様にナメられない、ためではない。

絶対にそんなことのために、自分を磨くのではない。

言い方の問題なのかもしれないけれど、動機や理由というものは、人間の行動のなかで1番大事なところなのだと私は思っている。

だって、殺人事件の裁判だって『動機』というのは1番の争点になるのだから。

ナメられなければお客様は納得して帰っていただける、というのも間違いではない。

1番簡単な方法は、力量がなくても鎧を被れば1番騙せるから。

私の場合は、鎧なんて被らずに、そのまんまの自分でも、満足してもらえることが自分のためでもあり、お客様のためであると信じている。

絶対に私のワークショップにきていただいた時間は、『いい時間だった!』と思ってもらうために培う努力であり、その動機でやるワークショップは至らない点があったとしても常にお客様に対して誠実であれると、自分で思っているから。

昨日、私のワークショップに参加してくださったことのある方に言われた言葉が嬉しかった。

至らない点があるかも?という私の気持ちは伝わっていて、だからこそ満足を得て帰って頂くには何が必要か、必死でお客様に集中しているのが伝わっているよ。と。

なんてありがたいんだろう〜。

必死さを見せても、馬鹿になんかしない。

私の中の『馬鹿にされたっていい』という、自分の中の強さが逆に『馬鹿にするような馬鹿』を寄せ付けないのだろう、と思った。

損してもいい

馬鹿にされてもいい

泣いたっていい

弱くたっていい

怒られてもいい

そう思って、いつも活動をしている。

人は優しい

みんないい人

怖い人なんていない

そう思って日々生活をしていると、意地悪な人なんて寄ってこない。(気づかないだけかもしれない😅)

人前に出るのが怖いひとは、まず鎧なんて被らないこと。まんまの自分で許されるということを、実感を重ね、自分とお客様を信じることができるようになればいいですね。