京都芸術大学通信で学んでいること
個人的なブログを書くのが久しぶりな気がします。
告知ばかりに追われてしまったので、今回は私の近況を。(2023年11月)
10月入学で、京都学芸大学の通信教育課程芸術教養学科に入学しました。
短期大学を卒業しているため、三年次に編入学させていただきました。
入学するにあたって、入学の試験はありませんが、自分のペースで勉強することの難しさは重々承知。すごく迷いました。
卒業できるのか?学ぶ時間は、レポートを書く時間はあるのか?今やるべきことなのか?など、さまざまな問いかけを行っていた約1か月。
その迷いから、様々なことが見えてきたし、自分への問いかけがどんどん深いところまで届き、今はとても研ぎ澄まされた感覚で作品も制作できるようになったし、ワークショップの企画も行えるようになりました。
私に影響を与えたモノづくりは2つのカテゴリーです。
ボタニーペインティングとエレクトロフォーミングです。
ボタニーペインティングは、蓮の葉(本物)を使用して貼り付けを行い、アクリル絵の具で色を付けます。葉に色を付けるので少しコツがいるのですが、そのコツを習得し、そして美しく土台に張り付けることで、仕上がりに差が出るアートです。
エレクトロフォーミングは、銅メッキを植物などに施す技法で、街で見かけた花や葉を積んできて形に残していきます。
どちらも、形として枯れ行く自然のものを変化させて後に残すものです。
私と銅との出会いは、感動的でした。
私は普遍的なものには切なさを感じません。”半永久的です”と訴えかけるものに愛おしさを感じないのです。
なくなってしまうもの、変わりゆくもの、があるからこそ、美しいものを観賞する意図が発生するものだと私は感じています。
永久的に変わらない美しさが手に入ることは、便利さ、効率の良さ、コスト面でよい、などいろんなよいと思われる面があるのだとも思いますが、愛したものが崩れ行くとき、時とともに変化をしたとき、「それが人生なのだ」というはかなさ、寂しさも含め本当の美しさを感じられるのではないかと思っていて、ともすればそれが一番の人間が感じなければいけない感情なのではないか、と思っているのです。
銅のメッキを施したアクセサリーを制作して自分で身に着けていると汗や湿気で色が急激に変わることもあります。
錆がでることも。
とても自然なことなのですが、確かにゴールドなどの装飾品は、さびないし変色しませんので、この銅という素材にもそれを求める人が少なからずいることも知りました。金よりも安くそして整ったもの、を求める人が多いのだな、という印象と、時の移り変わりを、5感で感じることができなくなっているのかもしれない、とさえ思い残念に感じたのです。
このような経緯から、私は画材に使用している蓮の葉や、銅のメッキした葉などにも特別な感情をいただくようになってきたのです。
過去のモノづくりの人たちが、使用してきた銅という素材。また、仏画や仏像にも必ずと言っていいほど描かれる蓮の花や葉、文様。もっと、銅についても蓮についても知りたいし、自分が文化や、伝統と感じてきたものや、自分が信じるものとはいったいどこから来るのか?人のどんなことに影響して、いま当たり前となりうる「文化」というものが成り立つのかを詳しく知りたくなったので、芸術教養学科でひとまず答えを探してみよう!と思ったのです。
広告で、京都芸術大学の広告がかなり出てくるであろう、世代、アートを楽しむ方たち。
学びは、問いと自分なりの答えを導き出す過去への問いかけですね。決して楽しいと思えない内容も出てきております。
しかし、私はとても楽しく学ばせていただいています。
芸大に通い始めたと公表して、すぐに技法を極めるんだと思われた方が多かったようですが(質問がかなり飛んできました)。
技法よりも私は、芸術と文化、生活とのかかわりなどに焦点をあて、学ぶことで、より自分自身が社会に役立ちたいという思いが強いです。
どこまでその志が実現できるのかわかりませんが…10年かかってでも、学びを絶対に形にしていきたいと思います。
そのために今も自分でワークショップやイベントを企画発案し、実行してトライ&トライ(エラーは起こしたくないので企画はしっかり行います)をくりかえりています。
皆さんも、大学入学などそんな大きな決断ではなくても、選択を迫られるとき、「それは何のために?」「それは自分の活動の意図に合致するか」を今一度考えたらよいかと思います。